mintsBar 今夜のお客様は 今夜のお客さまは 和田博巳さん です  

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”今夜のお客様は和田博巳さんです。“
【和田博巳 わだひろみ プロフィール】
1948年、茨城県日立市出身で北海道の余市町育ち。
’66年上京。ジャズ喫茶勤務ののち、’69年、高円寺にロック喫茶、ムーヴィンを開店。良質な洋盤をいち早く流す店として話題に。その後、岡林信康のアルバム『俺らいちぬけた』(’71年)のバッキングで共演した鈴木慶一と意気投合し、’72年、伝説のバンド、はちみつぱいにべーシストとして参加。
’74年のバンド解散後は地元に戻り札幌にて和田珈琲店を開店。和田珈琲店(やがて中南米志向にアレンジしてバナナボートと改名)は、小西康陽(ピチカート・ファイヴ)やDUB MASTER Xなど、のちに名を馳せる若き音楽好きが頻繁に足を運んでいたお店として知られている。
80年代初めの再上京後はマネージメント及びサウンド・プロデュース業を展開。ヒックスヴィルやオリジナル・ラヴなど、さまざまなアーティストの作品を手掛け、のちの“渋谷ブーム”の隆盛に寄与した。
その傍らでスパニッシュ・ムーン、QUOTATIONSと自身のバンド活動も展開。鈴木慶一の水族館レーベル等に音源を残している。
現在はオーディオ評論家としても活躍中。

先頃、自身が監修に携わった、はちみつぱいの完全未発表ライヴ音源9枚組CD BOX『THE FINAL TAPES はちみつぱいLIVE BOX 1972-1974』がリリースされた。
除川: いらっしゃいませ。mintsBarへようこそ。
和田: こんばんは、長門さん。お邪魔します。
長門: いらっしゃい、和田さん。お待ちしていました。
まずはバーや喫茶店作りのプロから見ての第一印象はどうです?
和田: まあまあ(笑)。
でも本当にいい雰囲気のお店ですね。長門さんらしくて。
長門: ありがとうございます。ゆっくりしていってください。
除川: 早速ですがお飲み物はいかがいたしますか?
和田: まずはビールだね、シメイ・ブルーをお願いします。

和田: 長門さんとは、かなり古い付き合いですよね(笑)。
僕がムーヴィンっていう高円寺にあったロック喫茶をやっていた時代だから。
長門: 70年代初頭ぐらいですね。
僕は阿佐ヶ谷で友達のところに居候していたから、夜な夜な遊びに行ってました。
ムーヴィン・チームと僕らのチームで野球の試合やったりもしましたね。ムーヴィン・チームにはダッチャ(「26号線」)もいたなあ。
それにしてもムーヴィンはいろんな人が出入りしているお店でしたよね。
和田: 当時、新宿にソウルイートというロック喫茶があったんですけど、そこが警察の手入れを受けて潰れてしまったんです。そうしたら、そこのお客さんが一気にムーヴィンに流れてきて、品行方正だったお店がかなりヤバいムードになってきたんです(笑)。
当時の常連は、その頃、3/3というバンドをやっていて後にフリクションをやるレックとか、村八分の山口富士夫ちゃん。レックも富士夫ちゃんも阿佐ヶ谷に住んでいたから、毎日のように来ていましたね。あとは『ニューミュージック・マガジン(※現・ミュージック・マガジン)』の編集者とか、レコード会社のディレクターとか、そういう人たちも面白がって来てくれて。
長門: 当時は中央線沿線にユニークな若者が集っていたんですよね(笑)。
和田: 中でも高円寺という街は独特なんです。たとえば四国出身の人が多いから阿波踊りが定着しているように、昔から高円寺には、なぜか地方から来た人が集まってくるみたいで。
だから、髪を伸ばしてギターを持って、いろんな田舎から集まってくる若者に対して住民が差別しないんですよ。髪が長くてもアパートを貸してくれるから、必然的にその手の人間がどんどん高円寺に集まってくるんです。
除川: ムーヴィンというお店は、どんな感じでスタートしたんですか?
和田: 大学受験のため北海道から上京して予備校に通うようになったんですけど、そのうち勉強そっちのけでジャズ喫茶を巡るようになって。
そうこうしてる間に、新宿にあったDIGというジャズ喫茶でバイトするようになるんです。
最初はジャズのことを全然知らなかったんだけど、1年働いてる間に、お店にあった2,000枚のレコードを大体覚えて、それでレコード係を任されるようになったんですね。
ちょうどその頃、浪人2年目の1968年10月21日、新宿騒乱という安保闘争が最も激しかった頃はどこの大学も授業がストップしていて。
それで大学受験を諦めて、親に200万円を借りてジャズ喫茶を開店することにしたんです。
長門: 初期のムーヴィンはフリー・ジャズを中心にかけていたんですよね。
和田: そうです。
でも、フリー・ジャズばかりかけていたら開店10ヶ月で早くも潰れそうになっちゃって(笑)。
“これはマズい!”と思って、DIG時代にお世話になっていた渋谷のヤマハの主任に相談してロックのレコードをツケで200枚買って、ある日突然、ロック喫茶に変えたんです(笑)。
そうしたら大成功で、土曜、日曜、祝日は、お店の周りに行列ができるぐらいになりました。
除川: ムーヴィンといえば、伊藤銀次さんが山下達郎さんの自主制作盤『ADD SOME MUSIC TO YOUR DAY』を初めて聴いたお店としても知られていますが。
和田: あのレコードは長門さんがいた四谷のディスクチャートに遊びに行った時、徳ちゃん(徳武弘文)に教えてもらったんだと思う。
ただ、その時点でもうディスクチャートには在庫がなかったんですよ。それで慌てて調べたら、ヤマハの渋谷店に2〜3枚残ってるっていうから、急いで買って、毎日、お店で流していたんです。
それを福生から来た銀次に「こんなの知ってるか?」って聴かせたらショックを受けたみたいで。親分(大瀧詠一)に「凄い新人が現れました!」って、すぐに知らせたんじゃないかな(笑)。
それで「連れてまいれ!」って話になったんだと思う。
長門: ディスクチャートまで直接、大瀧さんが電話をかけてきましたよ(笑)。
和田: 僕が銀次にあのレコードを聴かせていなかったら、シュガー・ベイブは存在していなかったかも知れないし、山下達郎も世に出なかった可能性がありますよね。
そう考えたら偶然って面白いですよね。
長門: ムーヴィンというお店が存在していなかったら、その後の音楽シーンも随分違うものになっていたでしょうね。
和田: もしかしたら、そうかもしれません。
とはいえ開店して1年半くらいで、僕はべーシストとして、はちみつぱいに参加することになって、ムーヴィンを若い子に任せてしまうわけなんですけど。

長門: はちみつぱいには、どんな経緯で加入することになったんですか。
和田: ひょんなことから岡林信康の『俺らいちぬけた』というアルバムでフォーク・ギターを演奏することになったんですけど、そのときに共演したのが鈴木慶一くんだったんです。
話してみたら、とにかく音楽の趣味が合うので、すぐに意気投合して。そうしたら、“今度、中津川フォークジャンボリーに出るから観にこいよ”という話になったんですね。
そこで、はちみつぱいは、あがた森魚や斉藤哲夫のバックを務めながら、サブ・ステージでバンドのオリジナル曲も演奏していたんです。最初は3人でフォーク・ギターを持って、下手なクロスビー・スティルス&ナッシュみたいなことをやっていたんだけど、最後に全員エレキ・ギターに持ち替えて、「こうもりの飛ぶ頃」を演奏したんです。それがブッ飛ぶくらい格好よくて、すぐにメンバーにしてくれってお願いしたんですよ。
でも当時、僕はギターを弾いていたから、“これ以上、ギター奏者はいらない”って言われてしまって(笑)。
それで東京に帰って、すぐヤマハに行って中古でフェンダーのプレシジョン・ベースを買って、べーシストとして無理矢理、はちみつぱいに入ったんです。
除川: 今、改めて聴くと、はちみつぱいってベースがバンド・アンサンブルの要になっていますよね。
和田: 当時はそんなこと、まったく思っていなかったです。だって最初はベースの弾き方からして解らなかったし(笑)。
だからリック・ダンコのベースを死ぬほど聴きました。あとは細野さんにチャック・レイニーを教えてもらったり。
チャック・レイニーを聴くようになると当然、モータウンのジェームズ・ジェマーソンを意識して聴くようになるし、そうやってベースの何たるかを徐々に知っていった感じですね。
長門: でも当時のはちみつぱいは本当に格好よかったなあ。ステージでの佇まいが絵になってた。
演奏にもほかのどのバンドにもない独特のノリがあって。
和田: メンバーみんなザ・バンドやグレイトフル・デッドが好きだったんですけど、いかんせん技術が伴わない(笑)。それで結果的に、ああいうなんとも異様なサウンドになったんでしょうね。
今聴くと格好いいなと思うんだけど、当時の僕らは単にああいう演奏しかできなかったんです。
長門: 和田さんはファッション・センスも際立っていましたよね。
ステージで黒いビロードの帽子をかぶっていたり。
和田: あれはリック・ダンコの真似(笑)。技術が伴わないから、せめて格好ぐらい気を使おうと思って。
ザ・バンドの2ndアルバムにリック・ダンコがジャズ・ベースを弾いている写真が載ってるんですけど、それを見て、僕はプレシジョンからジャズベに買い換えたぐらいだから。
もう、単純ったらありゃしない(笑)。
長門: (笑)。今回リリースされた、はちみつばいの未発表ライヴ音源を収録した9枚組ボックス『THE FINAL TAPES はちみつぱいLIVE BOX 1972-1974』は、慶一くんと一緒に和田さんも選曲に携わっているんですよね。
和田: そうなんですよ。“ベラマッチャ”(和田氏の愛称)はレコード制作の経験もあるから適任じゃないか”と、みんなに言われて(笑)。
作業が終わるまで2年かかりましたよ(笑)。
最初は3〜4枚組で出すつもりだったんだけど、探し始めたら、いろんな音源が出てきて。
長門: 改めて昔の音源を聴きなおして、バンドとして良かった時期はいつぐらいだと思いましたか?
和田: 演奏がまとまっていたのはシュガー・ベイブの1stコンサートや池袋でやったホーボーズ・コンサートですかね。
解散コンサートも良かったんですけど、コマコ(駒沢裕城)がいないんですよ。やっぱり、あのペダル・スティールが聴こえないと、いささか寂しいですよね。
それにしても、当時はびっくりしましたけどね。いきなりコマコが失踪しちゃうんだから(笑)。
長門: 行方不明になる前日まで、僕、彼と一緒にいましたよ(笑)。
和田: 勝手に離島に行っちゃって。帰ってきてから、“いない間に解散するとは思わなかった”って。
半年いなきゃ解散するよ(笑)。
長門: (笑)。ちなみに、もう、はちみつぱい関連の新しい音源は出てこないですよね。
和田: 出てきても、もう発表しません(笑)。
慶一くんとも“これで最後にしようね”って言っているので(笑)。だから、こういうタイトルになっているんですよ。
9枚組で、通常だと価格を2万円ぐらいにしないと採算が取れないらしいんですけど、それを発売元のディスクユニオンさんに頼み込んで、なんとか1万2千円まで値段を抑えてもらって。
すごく貴重な音源がたくさん入っているので、一人でも多くの人に聴いてもらいたいですね。
長門: ファン必携ですね。
ところで、ずっと疑問に思っていたんですけど、“ベラマッチャ”という和田さんの愛称は誰が付けたんですか?
和田: 細野さんです。正しくは後藤次利なんですけど。
毎年、狭山の米軍ハウスで細野さんと小坂忠さんの合同誕生日をやっていたんだけど、ある年、後藤がベロベロに酔っぱらったことがあって、『天才バカボン』に出てくるウナギイヌの真似をやりはじめたんですよ(笑)。細野さんは赤塚不二夫が大好きだから。
それで、赤塚漫画(「レッツラゴン」)に“ベラマッチャ”っていうダメ犬みたいなキャラが出てくるんですけど、突然、後藤が僕の方を指差して“ベラマッチャがいた!”とか言ってきて(笑)。細野さんは、それを見てゲラゲラ笑ってて。
それ以来、細野さんが僕のことを“ベラマッチャ”って呼ぶようになって、みんなも真似するようになったんです。あれは後藤の責任なんですよ(笑)。

除川: はちみつぱい解散後、和田さんがムーンライダースに参加しなかったのは、どういう理由からだったんですか?
和田: 慶一くんが、バンドの音をもっとポップにしたいと言っていたんです。
当時、彼は10cc辺りのバンドが好きだったからイギリスっぽい音を志向していたんですけど、僕はマーヴィン・ゲイの『WHAT’S GOING ON』とか『LET‘S GET IT ON』とか、黒っぽい音楽ばかり聴いていたんです。だから、はちみつぱい後期のライヴは、かなりソウルフルなリズム・アレンジになっていると思いますよ。
そういった音楽性の違いと、もうひとつの理由は、他のメンバーと違って僕が自分で曲を書けなかったこと。これも大きかったですね。
つまりバンドに入らなければ、スタジオ・ミュージシャンとして食っていくしかないわけです。でも、僕はベースが上手いわけでもなかったし、スタジオ・ミュージシャンという仕事にもあまり魅力を感じなくて、むしろ音楽制作がやりたかったんです。要するに機械が好きだから。
それでレコーディング・プロデューサーとかエンジニアになろうと思ってレコード会社に潜りこもうと思ったんですけど、その前に1年くらい北海道の実家に帰ってのんびりするのもいいなと思って。それで北海道に帰ったんです。
長門: 再び上京するのを前提に。
和田: そうです。
でも、いざ戻ってみたら札幌がすごく居心地のいい街になっていたんです。ロック喫茶がいっぱいあったりして。
そうやって1年間、何もせずフラフラしてるうちに、ここで珈琲屋をやろうと思うようになって。
それでまた札幌で喫茶店を始めちゃったんです。
長門: それが和田珈琲店ですね。
和田: はい。
たぶん1976年ぐらいの開店だったかな。そこに、やがてピチカート・ファイヴの小西(康陽)、音楽評論家の渡辺亨くん、TOMATOSの松竹家清、MUTE BEATのDUB MASTER X、エマーソン北村とか、あいつらが毎日来るようになって(笑)。
連中は才能があるから、札幌なんかにいないで早く東京に行ったほうがいいって、どんどん僕が送り出したんですよ。
僕は僕で、国民金融公庫から借金してお店を始めたんですけど、6年で返済が終わった途端、再び制作の仕事がやりたくなっちゃって。
普通、喫茶店って借金を返済すると、また金融公庫からお金を借りて2軒目を出すんです。
1軒目の返済が6年で終わったとしたら、単純計算すると2軒目は2店舗合計の売り上げで返すから3年でお金を返せるでしょう。
除川: なるほど(笑)。
和田: さらにもう1軒出すと、1年半で返せますよね。そういうふうに支店をたくさん作って、経営者として成功していくっていうのが喫茶店のオーナーのよくあるパターンなんです。
でも、僕は借金を返した時点で、なんだか肩の荷がおりちゃって(笑)。
それでお店を売り払って、再び東京に出てきたんですね。
当時は小西が青山学院大学の4年生くらいで白金のマンションに住んでいたから、そこによく遊びにいっていたんです。そうしたら細野さんの家がすぐそばにあるということが判って。
僕は上京後、細野さんのライヴによく足を運んでいたんですけど、ある日の公演後、細野さんから食事に誘われたことがあって。そこで“和田くん、今、何やってるの?”って話になって、事務所に誘ってもらったんです。
細野さんの事務所では2年ほど、いろいろ勉強させてもらいましたね。
その後、独立して音楽プロデューサーの仕事を始めることになるわけです。

長門: では、このあたりで恒例のレコード・ハントの話を。
和田さんは、最初の上京当時、どんなレコード屋さんに行っていたんですか?
和田: お店をやっていたということもあって、やっぱり渋谷のヤマハが比較的多かったですね。
上野の蓄光堂も行ったんだけど、やや遠かったんです。
渋谷ヤマハには浅野さんって女性スタッフの方がいて、その人はお金がないと、僕らのぶんをこっそり取っておいてくれるんですよ(笑)。
長門: そうそう。だからレコードの行き先もだいたい判る。
1枚は和田さんで、1枚は慶一だろうなって(笑)。
僕も渋谷ヤマハにはお世話になりました。
和田: あの頃は今みたいにレコードが大量に入荷するなんてことがなかったから、だいたい誰が買うかわかるんですよね。
除川: ちなみに一番最初に自分のお小遣いで買ったレコードは何ですか?
和田: 中学校の頃に買ったロネッツの「ビー・マイ・ベイビー」の日本盤かな。
ラジオでイントロを聴いて一発でノックアウトされちゃったんですよ。
その後、中学2、3年の頃から果樹園でリンゴの収穫を手伝ったりして、バイト代でレコードを買うようになったんです。
自分で買えるようになると、次から次へと欲しいレコードが出てきて、そうやってズブズブ泥沼にハマっていったんです(笑)。
長門: では、最後に和田さんが影響を受けたレコードを何枚か紹介してもらいましょう。

〜和田博巳さんが影響を受けた11枚〜

 「 ボブ・ディラン / 追憶のハイウェイ61 」
 「 ザ・ローリング・ストーンズ / アフターマス 」
 「 ザ・ベンチャーズ / ノック・ミー・アウト! 」
  −僕の高校時代はこの3枚に尽きます−

高校時代、ボブ・ディランの「ライク・ア・ローリング・ストーン」を聴いてショックを受けました。
イントロを聴いた瞬間から“なんて格好いいんだろう”って。
それまでも「風に吹かれて」とかディランは大好きだったんですけど、いわゆるフォーク・ギターによるプロテスト・ソングを好きだったわけで、それはキングストントリオが好きですとか、ピーター・ポール&マリーが好きですとか、そういう感じと一緒だったんですね。
音楽的な趣味で言えば、最初はアメリカのロックンロールから入って、リトル・リチャードとかジーン・ピットニー、それから、ロイ・オービンソン、もちろんエルヴィス・プレスリーも大好きでした。それが中学時代。
で、高校に入るとビートルズが出てくるんですよ。そこから急に関心がイギリスに行っちゃった。
ただビートルズって僕には、どこかお子様ランチっぽい感じに聴こえたんですね。彼らよりも、キンクスとかスペンサー・ディヴィスとかアニマルズとか、ああいう黒っぽいバンドが好きだったから、僕はどちらかというとビートルズよりもストーンズ派だったんです。
そうこうしてる間に、『メンズ・クラブ』っていうファッション誌に掲載されていた、麻田浩さんの『ニューポート・フォーク・フェスティヴァル』に関するレポートを読んだことがきっかけになって、今度はアメリカン・フォーク・ソングも聴くようになるんです。
そんな感じで、ブリティッシュ・ビートとアメリカン・フォーク・ソングを左右に捉えながら、僕は高校時代を過ごしていたんです。だから、ベンチャーズのコピー・バンドとピーター・ポール&マリーみたいなフォーク・バンドを僕は二股かけてやっていたんですよ(笑)。
ビートルズやストーンズのコピーをやらなかったのは、歌が上手く歌えなかったから(笑)。
英語の発音が難しくて。当時は訛っているなんて知らなかったから(笑)。
それで、インストだったらいいだろうってベンチャーズの曲をコピーしていたんです。


 「 ザ・バンド / ザ・バンド 」
  −ザ・バンドに関しては、生涯で2ndアルバムをいちばんよく聴いていると思います−

ザ・バンドの1stアルバム『ミュージック・フロム・ビッグ・ピンク』は『ニューミュージック・マガジン』でも褒めてるし、僕の周囲でも話題になっていたんですけど、最初は渋すぎてどこがいいのか全然解らなかった(笑)。雑誌に出てるメンバーの写真も20代前半とは思えないくらい老けてるし、1曲目の「怒りの涙」も死ぬほど暗い曲だし(笑)。
結局、1stアルバムは買ったものの、1回か2回だけ聴いて、“全然わからんな”ってことで置いといて、ジミヘンの『エレクトリック・レディランド』とかそういう解りやすいアルバムを聴いていたんです。でも、ザ・バンドの2ndアルバムは、なぜかすんなり聴けたんですよ。音も良かったし。
ザ・バンドに関しては、生涯で2ndアルバムをいちばんよく聴いていると思います。
ベースのフレーズも全部、ソラで思い出せますからね。


 「 ビーチ・ボーイズ / ペット・サウンズ 」
  −と、言いつつ高校時代はビーチボーイズも大好きだったんです−

高校時代はビーチボーイズも大好きだったんです。とはいえ「サーフィンUSA」とか「サーファー・ガール」とか、いわゆるサーフ・バンド時代ですけど。だから、『ペット・サウンズ』が発表された時は、これまた、よく解らなかった(笑)。
この作品の良さが解るようになったのは、『カール・アンド・ザ・パッションズ』を買ったからです。『カール・アンド・ザ・パッションズ』という作品はビーチボーイズがもっとも不遇で売れなかった時代のアルバムなので、新譜なのに何とアメリカでも『ペット・サウンズ』と抱き合わせの2枚組でリリースされたんです。だから『カール・アンド・ザ・パッションズ』を買ったことで、高校時代に理解できなかった『ペット・サウンズ』を再び聴くことになった。
『カール・アンド・ザ・パッションズ』はペダル・スティールが入っているしドラムとベースが黒人だったから、かなりスワンピーなサウンドなんです。だから自分としては、すごくしっくりきて。
それに続けて久々に『ペット・サウンズ』を聴いてみたら、“なんでこれが解らなかったんだ!?”って思うくらい、本当に素晴らしいアルバムなんですよ。あまりにも良すぎてびっくりしました(笑)。
オーディオ的には、DVDオーディオで出た5.1チャンネルのミックスがすごく良いです。
ブライアン・ウィルソンの頭の中が見えてくるような感覚というか。
フル・ヴォリュームで聴くとナチュラル・トリップできますよ。


 「 マーヴィン・ゲイ / ホワッツ・ゴーイン・オン 」
 「 スライ&ザ・ファミリー・ストーン / 暴動 」
  −ジェームス・ジェマーソンのベースの凄さにやられまして−

テンプテーションズの「リーチアウト・アイル・ビー・ゼア」とか、シュプリームス全般とか、とにかくモータウンの曲だったらなんでも好きだったんですが、当時、ベースに関心を持って聴いた記憶が全然ないんです。歌とアレンジばかり聴いていたんですね。
ジェームス・ジェマーソンのベースが凄いということを知ったのは、マーヴィン・ゲイの『ホワッツ・ゴーイン・オン』にミュージシャンのクレジットがあったから。さかのぼってモータウン楽曲のベースを聴くと、“なんて凄いベースを弾いてるんだ!”ということに気付かされるわけです(笑)。
そうやって、黒人音楽にのめり込んでいって、その繋がりでスライの『暴動』とかを好きになるわけですよね。


 「 グレイトフル・デッド / ライヴ・デッド 」
 「 グレイトフル・デッド / ワーキングマンズ・デッド 」
 「 グレイトフル・デッド / アメリカン・ビューティ 」
  −はちみつぱいのみんなが好きだったアルバム達ですね−

ちなみに、『ワーキングマンズ・デッド』に入っている「ハイ・タイム」という3拍子の曲と、ポコの「カインド・ウーマン」を足して2で割ったのが、はちみつぱいの「塀の上で」です(笑)。
鈴木慶一くんが正式にライヴのMCでネタばらししているので、これはもう話しちゃっても大丈夫だと思います(笑)。


 「 あがた森魚 / バンドネオンの豹 」
  −僕のプロデュース作品の中で最も思い出深い一枚です−

僕が細野さんのところを卒業してフリーのプロデューサーになって、いちばん最初に手掛けたプロデュース作品です。
あがたくんは、それまでキティ・レコードでテクノ・ポップをやっていたんですけど、キティとの契約が終了した時に、彼から“アルバムを出したいんだけど”という相談を受けて。それで、レコード会社のディレクターに聴かせようと思って、あがたくんのコンサートを録音して、自分なりに良さそうな曲を選ぶという作業を始めたんです。
そんなある日、タンゴ楽団とあがたくんが共演しているコンサートに偶然、遭遇したんですよ。NHKタンゴ楽団のバンマスをやっていた池田光夫先生がバンドネオンを弾いていて、たしかバンドネオン、ギター、キーボード、パーカッション、ヴァイオリンって編成だったのかな。それが超格好よくて、あがたくんに、“ロックやってても売れないからタンゴやったほうがいいよ”って言ったんです(笑)。
当時、僕は高橋克彦さんの伝奇小説(※註)が大好きで、彼が描く、日本の古代縄文に人工衛星が降りてくるような荒唐無稽なストーリーをなんとかアルバムという形にできないかなと思っていたんです。
その時に思い浮かんだのが、目賀田綱美という戦前の日本に実在した大金持ちの男爵。
彼は20年代、パリに行ってさんざん放蕩生活を繰り広げたのち、日本にアルゼンチン・タンゴを輸入するんですね。
『バンドネオンの豹』ではその目賀田男爵を主人公にした荒唐無稽なストーリーをあがたくんに考えてもらって、そのストーリーに従って1枚のアルバムを作っていったんです。
あがたくんが考えためちゃくちゃなストーリーをなんとかアルバムになるように作り替えて、“これはアッ子ちゃん(矢野顕子)に曲を書いてもらおう”とか、“これは白井良明にアレンジしてもらおうとか”、そうやっていろんな人たちに手伝ってもらって完成したのが『バンドネオンの豹』だった。
このアルバムは発表した年の『ミュージック・マガジン』の邦楽部門の年間2位に入ったのと、朝日新聞の邦楽年間ベストテンの、やっぱり2位に入ったんですよ。プロデューサーとしては、めちゃくちゃ幸先のいいスタートが切れて、そういう意味でも思い出深い一枚です。

※註:高橋克彦の同名小説『バンドネオンの豹』(講談社)について---
以心伝心、あがた森魚のこのアルバムに呼応して、作家・高橋克彦が小説化したこちらも痛快傑作。副読本としてお楽しみください。
(あらすじ)衛星写真に何と8千万年前に絶滅したはずの恐竜が写っていた!ところは南米ギアナ高原。一方、大阪万国博会場では、宝石盗難と女子高校生の失踪事件が起き、大騒ぎに。
地球の2極で生じた2つの怪事件はやがて時間空間を超えた大活劇に合流する。夢とロマンが横溢の大冒険小説。


〜和田博巳さんの11枚〜
ボブ・ディラン
/追憶のハイウェイ61
MHCP-806
ザ・ローリング・ストーンズ
/アフターマス
(UKヴァージョン)
UICY-6692
ザ・ベンチャーズ
/ノック・ミー・アウト!
TOCP67404
ザ・バンド
/ザ・バンド
<紙ジャケット仕様>
TOCP-67392
ビーチ・ボーイズ
/ペット・サウンズ
(MONO&STEREO)
TOCP-54052
マーヴィン・ゲイ
/ホワッツ・ゴーイン・オン +2
UICY-6916
スライ&ザ・ファミリー・ストーン
/暴動
EICP-1058
グレイトフル・デッド
/ライヴ・デッド
<デラックス・エディションSHM-CD>
WPCR-13608
グレイトフル・デッド
/ワーキングマンズ・デッド
<デラックス・エディションSHM-CD>
WPCR-13609
グレイトフル・デッド
/アメリカン・ビューティ
WPCR-2648
あがた森魚
/バンドネオンの豹
<紙ジャケット仕様>
COCP-34523

  mints Barでは、時間の経つのも忘れて、音楽談議が続いています。

和田博巳さんのオーダー
シメイ・ブルー


★Information★

  ● はちみつぱい / THE FINAL TAPES はちみつぱいLIVE BOX 1972-1974
      SUPER FUJI DISCS  FJSP-69  12,600円(税込)

鈴木慶一、渡辺 勝、本多信介、武川雅寛、和田博巳、かしぶち哲郎、駒沢裕城、岡田 徹、椎名和夫。
「はちみつぱい」最後のリリースとなる集大成9枚組CDボックス。
唯一のアルバム『センチメンタル通り』だけでは知り得ない日本ロック最重要バンドの真実がここで全て明らかに。和田さんによると、特に演奏がまとまっていたのはディスク3とディスク7とのことです。

   ディスク1:東京草月会館(1972/1)、札幌大谷会館(1972/9)
   ディスク2:仙台(1972/12)、仙台(1973/4)、TVK「ヤングインパルス」
   ディスク3:シュガーベイブ1stコンサート(1973/12)
           ゲスト:大貫妙子、少年探偵団(若林純夫、山本コウタロー、徳武弘文)
   ディスク4:渋谷ジャンジャン(1973/12) ゲスト:南佳孝
   ディスク5:代々木いちごの目ざまし時計(1974/6)
   ディスク6:郡山ワンステップ・フェスティバル(1974/8)
   ディスク7:池袋ホーボーズ・コンサート(1974/9)
   ディスク8:“解散コンサート”代々木・山野ホール(1974/11)
          (ボーナス・ディスク)
   ディスク9:シュガーベイブ2ndコンサート(1975/1):細野晴臣、鈴木慶一とそのグループ ゲスト:大瀧詠一





  ● ビートサウンド 2009年13号 No.13
      書籍 STEREO SOUND Publishing Inc.  1,300 円(税込)

“ビート”をテーマにロック世代のオーディオファン、音楽リスナーに照準を合わせた新しいハイ・ファイ&ミュージックマガジン。季刊化スタート記念号となる最新号は、去る9月9日に全世界で同時発売されたビートルズのリマスターCD(ステレオ・ヴァージョン)の聴きどころを徹底的にフィーチャー。
LP時代からビートルズの音楽に接してきた和田博巳、赤岩和美、小林慎一郎、宮子和眞各氏による客観的レビューは、従来CDに慣れ親しんできたリスナーほど楽しんでもらえる内容となっています。





  ●BEST SOUND SELECTIONノンサッチ編(和田博巳:選曲・構成)
      高音質CD Stereo Sound Publishing,Inc.  SSRR2(WQCP745)  3,000円(税込)

尖鋭的かつアーティスティックなミュージシャンを数多く擁するアメリカのレーベル、ノンサッチ。
そのストイックなまでに芸術性を大切にするレーベル・カラーゆえ、これまで制作が許される例がほとんどなかったノンサッチのコンピレーション・アルバムが、和田博巳氏選曲・構成のもと、ステレオサウンド Web Store限定販売商品として日本初登場! 
k..d.ラング、ライ・クーダー、ビル・フリゼール、デヴィッド・バーン、エミルー・ハリス、ランディ・ニューマンほか、そうそうたる顔ぶれのヴィンテージ音源ばかりを、単体では国内発売されていないアルバムの楽曲も多数含めてヴァリエーション豊かに構成されています。
ライナーノートには、オーディオ・システムの調整に役立つ和田氏による詳細な試聴ポイント解説を掲載。
オーディオ・ファンはもちろん良質音楽リスナー必携&必聴の一枚です。







     (注)グッド・タイム・ミュージックの流れる店、mints Barは架空の店です。

mints Barは、コチラのお店をお借りして、撮影しています。


ラウンジバー瑠璃
東京都中野区新井1-7-1
カーサトモエビル1階
Tel : 03-3387-7906



第四十夜  おわり
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